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専門学校の「今」に鋭く迫る辛口コラム
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2000年12月号

調査 日本語学校事情 その13
 〜閣議決定と日本語学校〜
▼閣議決定と日本語学校

 省庁の統合と軌を一にして特殊法人や公益法人の見直し作業が一斉に進められている。また、この作業とは直接的には関係がないが、いわゆるKSD事件が起きて、公益法人には、なにかとスポットが当てられるようになっている。

 この省庁の統廃合や公益法人の問題は、規制緩和や行政改革という観点から、もともとはスタートしたものである。統合による新省庁がスタートし、この法律制定時の橋本元総理大臣が担当大臣として、また、自民党サイドでは野中前幹事長が党内の責任者として、いわゆる行政改革に取り組む態勢が整った。

 新聞等の報道によれば、これら内閣・自民党の作業チームの緊急の最重要課題は特殊法人と公益法人の抜本的な見直しであるという。

 ところで、公益法人については既に5年前に、見直しの基本的な基準が閣議決定されている。下にその内容の一部を掲載した。

 さて、この閣議決定と日本語学校がどう関わるのかが、今回のテーマである。

 本論に入る前に、少し下の記事にしたがって、閣議決定の内容について見てみることにする。

 平成8年9月20日に閣議決定されたもので、正式なタイトルは、「公益法人の設立許可及び指導監督基準」及び「公益法人に対する検査等の委託等に関する基準」について、となっている。下の記事では省略しているが、4項からなる本文があり、そこでは公益法人についての指導監督の経緯と、どのような基準で改革に取り組むのかについて、基本的な指針が述べられている。また、(別表1)は公益法人の設立許可及び指導監督基準、と題されている。

 日本語学校に関係すると思われるのは、(別表2)で、下の記事はその全文である。(法令中のアンダーラインは筆者)

 アンダーラインに注目をして、これをかいつまんで要約をすれば、次のようになる。

 1)検査・認定・資格付与等を行う公益法人は、法律や政令によって指定されていなければならない。

 2)法律や政令によって指定されていない公益法人が行った検査・認定・資格付与等の結果を他の省庁は使用してはならない。

 3)法律の定めがなく、かつ公益法人が検査・認定・資格付与等を今後も行う必要があるものは、平成12年度末(平成13年3月末)までに法律を制定しなさい。

 この閣議決定と日本語学校・日本語教育に関わると思われるいくつかを次に挙げてみる。

 (1)財団法人日本語教育振興協会は、文部科学省、法務省、外務省の3省共管の認可法人ではあるが、法律や政令ではその設立が規定されていない。

 (2)法律で設立が規定されていない、日振協が認定した(あるいはしなかった)という、その結果を法務省(入国管理局)は利用して、認定した日本語学校だけに就学生のビザを発給している。

 (3)法律的な根拠がないまま、財団法人日本国際教育協会が文部大臣認定として日本語教育能力検定試験を行っている。  (平成13年度からは、文部大臣認定をはずした形で継続予定)


▼日本語学校は規制に守られている?

 上記(3)で明らかなように、法律の制定が難しいものについては、閣議決定にしたがって、改善・改革の動きが既に見られるものもある。

 そこで、(1)と(2)について考えてみる。日本語学校は、ある意味では規制に守られている業界である、といえる。具体的には(2)で明らかなように、日振協から認定を受けた日本語学校でなければ、実際問題として入管は就学生のビザを発給していない。ということは、逆な言い方をすれば、日本語学校は規制に守られているということになろう。この、規制あるいは既得権をどのように考えるかによって、見方が分かれる。

 大学や短期大学は国(文部科学省)によって、他の学校(専門学校なども含む)は都道府県によって認可されている。これらは、学校教育法に、だれが、どのような方法で認可をするのかが規定されていることに基づいている。困ったことに、日本語学校は法的には全くの根無し草で、どこにもその設立の根拠が示されていない。良い悪い、あるいは好き嫌いは別にして、日振協の認定が今のところ唯一のお墨付なのである。

 (2)については、既に見たように、閣議決定には反するが、日本語学校にとって法務省(入管)が、日振協認定を根拠に就学生のビザを発給してくれることは、益はあっても損はないことである。

 ただし、「だからこのままでもいい」というわけにはならないところに、この問題の深刻さがある。問題の本質は、日本語学校が法的には全くの根無し草であることにあるのであって、だれが、どのように認可するかなどは二の次の問題である。


▼根本的な問いからのスタート

 日本語学校は社会的にその存在が必要なのかどうか、という根本的な問いにわれわれは直面している。そのためには、日本語学校の社会的使命について、真剣に考えてみなければならない。その結果、日本語学校が社会的に必要な存在であるとするならば、どのような法律的な位置付けが本来あるべき姿なのか、が次のテーマとなろう。

 入管の政策に一喜一憂して右往左往する日本語学校から、社会という土壌にしっかりと根を下ろした確かな社会的存在として日本語学校がスタートできるかどうかが、今試されているといえる。(鎌田)



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