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下記の2点は、2000年より外務省を通じて全世界の在外公館(大使館、領事館)の閲覧室に置かれています。他に類書がなく、使いやすい、読みやすいと好評を博しています。日本での留学を希望する各国の人々に有益な情報を提供しています。
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タイトル
2002年1月号より

特別セミナー 外国人留学生のリスク・マネージメント
ケーススタディ: 就学生Sくん(東京日語学院)事故死における事件の教訓


外国人留学生を扱う学校(大学、専門学校、日本語学校)にとっての危機管理のケース・スタディとして、昨年10月に起きた東京日語学院の就学生の転落死事故とその対処の仕方を取り上げてみたい。

 この事故は昨年10月31日、日光・鬼怒川への1泊2日の学院行事旅行の最中に起こった。学生に日本の美しい紅葉を見せてあげたいという趣旨で、同学院では例年この時期に、鬼怒川と草津への旅行を行っている。

 鬼怒川に参加した38名は31日の正午過ぎに鬼怒川のホテルに到着。2人以上で行動すること、また、夕食には間に合うように帰ること、という説明の後、自由行動となった。各自思い思いに昼食をとったが、Sくんは食事の誘いを断り、必ず2人以上で行動することという指示があったにもかかわらず、1人で川の対岸に行き、高さ約8メートルの崖から滑落し、死亡した。川下りの船頭が、その直後にSくんを発見し、警察に通報した。これが事件のあらましである。

 死体検案書によれば、死因は脳挫傷で、ほぼ即死状態であったという。Sくんがなぜ、崖から転落するような危険を冒したかは不明だが、恐らく、周りの樹木につかまりながら崖を降りて、川辺に行こうとしたのではないかと推測されている。

 鬼怒川は老人会が宿泊するほどで、ホテルの回りは安全そのもの。よもやそのようなホテルの周囲で若者の死亡事故が起ころうとは学院側は予想だにしなかった。しかし、類似の事件はどこでも、またどの学校でも起こりうる。今回はこの事件を通じて、留学生・就学生を受け入れている学校の危機管理を考えてみたい。

 この事件は、死亡が確認されてからの学院の対応と処置が迅速であり、また的確であったために、結果として短期間に円満に解決をした。しかし、一歩対応を誤ると、泥沼に入り込む危険がなかったわけではない。

 結論から先にいえば、亡くなったSくんへの敬意ある措置、残された学生たちへの慎重な配慮、そしてショックを受けたであろう両親への誠意あふれた対応が、関係者を落ち着かせ、円満解決に導いたといえる。

 学院サイドの対処を時系列的に、以下少し詳しくトレースしてみる。

 第一には、関係者・機関への素早い対応・報告である。警察の事情聴取、両親への連絡、ビザやパスポートの迅速な発給のための外務省、当該大使館への連絡の他に、日振協等への報告もある。

 特に、両親への連絡は事がことだけに、慎重でかつ冷静でなければならない。今回は、中国人教員がいたので、両親との連絡が比較的スムーズにいった。しかし、その中国人教師も、同じ親としてどう伝えたらいいのかと相当に悩んだので、学院としても両親の電話連絡には、かなりの時間が必要であったという。第一報の連絡のやり方次第では、その後の両親の心持ちも大きく変わったかもしれないのだ。

 なお、ビザの発給に関しては、今回、母親の体調がすぐれていなかったということがあり、出来れば従兄弟が代わりにくることを希望している旨を伝えたが、両親、または兄弟以外での発給は難しいと、外務省から伝えられた。しかし、外務省と当該領事館との連携は非常にすばやく、わずか5日後には両親のビザの取得が出来た。両親はそのことに感謝していたという。

 第二は、学生・教職員スタッフへの的確な状況説明である。外にだけ目を奪われがちであるが、内部の人間に理解させ、納得させなければならない。特に、学生は学院の対応をしっかりと見ている。今後の学院運営に対する信頼の問題であり、このことは非常に大切なことである。

 ところで、事故の翌日も学院行事は予定どおり行われたことについて、奇異に感じるかもしれない。選択肢は二つしかない。残りの行事をすべてキャンセルするという選択と、そのまま何事もなかったように続けるという選択である。今回は後者を選んだ。せっかく皆で楽しみにしていた学院行事を中断してしまうことは、亡くなったSくんの本意ではない、と考えたからだという。教職員・学生の想いはそれぞれであったはずであるが、残りの行事をとどこおりなく行うこともまた決断の一つである。

 第三は、遺体の保存、葬儀の準備、両親の受け入れ準備などである。海外から、特に今回は中国であったために、両親の入国までにはかなりの時間がかかることが予想された。両親と連絡を密にとり、その意向に沿った形で、遺体の保存、葬儀等の準備にかからなければならない。

 葬儀の段取り、滞在中の両親の受け入れ準備には細心の配慮を払った。学院としては、両親が遺体と対面してから一定の期間を置いて火葬することを考え、10日火葬、11日告別式を予定、告別式の会場も比較的大きな所を予約していた。また、宿泊先についてもとりあえず10日間を予約した。

 しかしこれらは、学院に迷惑をかけたくないという両親の思いから、全て学院の費用負担を軽減する方向で変更された。両親とのコミニュケーションがうまくいっていたことの何よりの証左であろう。

 第四は、専門家に相談することである。厳しい言い方ではあるが、現実問題として、死者は生き返らない。責任の所在を明らかにして、最終的には金銭で解決となるのがふつうである。どうしても専門家のアドバイスは欠かせない。

 今回は、Sくんが20才以上であったこと、事故現場の崖に設けてあった柵を乗り越えていってしまったこと、さらに、自由時間であったこと、の3点によって本人の自己責任と法的には解釈された。しかし、法律論よりも、学生が日本にいる間は学院こそが親の立場に立って行動しなければならないということはいうまでもない。

 今回、最終的には、授業料の全額返還、寮費の返還、学院見舞金、学生有志・学院スタッフの見舞金、保険料等で、総額数百万円にのぼったという。ただし、このうちの保険金、つまり留学生保険の傷害死亡保障については、保険会社にファックスで申し込んだつもりが、手違いでSくんの分だけ抜け落ちていたという。この分の105万円は学院が負担した。なお、これについては、保険会社の同席を求め、保険がおりた場合の説明をしてもらって支払いをした。後日のトラブルを避けるためである。

 告別式は雨の土曜日に行われたが、学院の半数以上の学生がアルバイトを休んで列席した。後日談として、昨年の12月に学院長が中国に渡った際、Sくんの両親が十数時間の夜行列車に乗ってお礼の言葉を述べるために、学院長の滞在先までわざわざやって来たという。(増井)


事件の時系列的経緯

2001年10月31日(事故当日) 

・昼すぎ:日光鬼怒川で、学院行事として旅行中の中国人就学生Sくんが約8mの高さの崖から 転落。死体検案書によれば、脳挫傷で即死。

・13:00頃:地元民から警察へ通報。

・16:00頃: 警察より学院理事長に連絡が入る。

・夕方:中国の両親に中国人講師より連絡。死亡した事実を伝え来日を要請する。

 この間、講師への警察の事情聴取続く。

・ 夜:葬儀社に遺体の冷凍保存を依頼。

 日振協にFAXで報告。

 夕食時、学生に事情説明。あわせて明日の行事は予定どおり行うことを伝える。

11月1日(2日目)

・「死体検案書」を警察に持参。同時に中国大使館に通報。両親来日のためのパスポートの早 期発行を要請。大使館では吉林省の公安へ連絡。

・ 外務省外国人課中国担当に事故報告。ビザの早期発給を要請。

・ 夕刻:学院スタッフに経過説明。

11月2日(3日目)

・ 学院内にSさんの祭壇を設置。

・死体検案書並びに両親を招聘のための書類を中国に送付。

11月4日(5日目)

・ 学院長の発案で、一部スタッフと学生有志による慰霊式を壬生の葬儀社斎場で行う。

11月5日(6日目)

・中国よりパスポート取得、翌日領事館にビザ申請に行くとの連絡が入る。

・保険会社に留学生保険における傷害死亡の保障について確認。

・ 見舞金カンパを始める。

11月6日(7日目)

・中国よりビザ取得、明日出発との連絡を受ける。

 ホテルを予約(とりあえず10日間)

・Sさんの同郷出身者に両親の通訳を依頼。

・ 学校としての法的、道義的責任を弁護士と相談。

・ 火葬許可証を発行してもらう。

11月7日(8日目)

・ 両親を出迎え、ひとまずホテルに案内する。

11月8日(9日目)

・ 両親を学院に案内し、その後、遺体が安置されている葬儀社に行く。

・ 両親の希望により、8日当日に火葬に付す。

・ さらに両親の希望で、鬼怒川の墜落現場に案内する。

・葬儀社と最終打ち合わせ。

11月10日(11日目)

・ 両親の質素にという希望で告別式を学院で行う。

・ 学院より両親へ各種渡し金を用意。同時に両親に説明し了承してもらう。

・ さらに話し合いのあと、なるべく早く帰国したいとの両親の希望で、翌日の航空券を手配。

11月11日(12日目)

・ 成田に両親を見送る。

11月12日(13日目)

・学院長が各クラスを回り、経過を報告し、見舞金への御礼をいう。




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